今だから「乙武さんのイタリアン入店拒否問題」について

日記

最近の人の関心はTwiiterのタイムラインのようにとにかく流れが早い。もう忘れ去られているのかも知れないけど、あの「乙武さんのちょっとした事件」を覚えているだろうか?移動に車椅子が必要な乙武さんは、車椅子であることを告げず、車椅子で来店できるかどうかを確認せず、通常通り予約を取り女性の連れと店に行った。しかしレストランが入った建物には入り口に数段の階段があって車椅子では上がれない。例えエレベーターに乗ったとしてもレストランのある階では止まらない。店に手助けを求めると、「事前に行ってもらわねば困る、対応できない」と、店長は手の空いた店員が助けようとするのを制した。店側の冷たい対応に、乙武さんの連れの女性は排除された気持ちになり、とても悲しみ涙した。それを見た乙武さんは怒り、Twitterで実名を出して店を非難した。
イタリアン入店拒否について | 乙武洋匡オフィシャルサイト
http://ototake.com/mail/307/

ご存知のように世間は、少なくともネットはしばらくこの話題で持ちきりだった。店主の肩を持つ者、乙武さんに共感する者。いろんな人が必死になってどちらに非があるのかを熱心に言い争っていたようだ。この成り行きを見ていて、僕はとても不思議に思っていたことがある。それは「みんななぜ、自分の自尊心の問題に触れないのだ?」ということである。どっちが良い、悪いなどどうでも良いし、ハッキリ言えばいくら議論してもこの問題の答えに良い悪いなど無いのだ。問題なのはこの問題を考える人々の自尊心だけである。

当の乙武さんが大事にされず、連れの女性は楽しい食事をするどころか、悲しい気持ちになり、まじめに働いている店主も突然世間から批判を浴びることとなった。ここに登場する人々は全員、あなたのように注目され、愛され、特別に大事にされるべき存在の人たちなのだ。

例えばこのレストランの店長だって、誰かの大事な息子だ。とても親孝行な息子かもしれない。また誰かの大事な、尊敬する父親であるかもしれない。小さな息子や娘さんを育てることに必死なのかもしれない。そして、たまたま今日は人生に大きな問題が起き、今月は一度も休めず疲れ果て、体力の限界と戦っていたのかも知れない。

窃盗や強盗事件が起きたわけでもない。ここには、誰ひとり批判されるべき人間などいないのだ!その人々が辛い思いをしているのを見ているのなら、それを到底受け入れることなど出来ない。

自尊心とは「唯一の存在である素晴らしいあなたと、そのあなたの愛する人々が生きるこの美しい世界を愛する気持ち」です。「オレのプライドが、あーたらこーたら」とか言うものではありません。それは間違いです。

そんな気持ちが少しでもあれば、乙武さんは事前に確認したかもしれない。店長は気持よく手助けをしてくれたかもしれない。乙武さんを批判する人々は彼と彼の友人が受けた心の傷を気遣い、しかし店長のために店名を削除すべきだということを乙武さんに助言したかもしれない。レストランの店長を非難する人々は一度自分でレストランを訪れてみて、問題はさておきとても美味しかったと思い、入り口の階段をスロープにして、エレベーターが止まるようにはならないか店長と相談したのではないか、と思うのです。

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